香港で働く平成生まれのブログ (Aiki's log)

AIKI ADACHI, Hong Kong, 27Years, Digital, Marketing

自己紹介(生まれてからこれまで)

生まれてからこれまで!

  

プロフィール

出生地:京都市 桂

住んだことある町:横浜、小田原、名古屋、京都、東京(中央区、港区、渋谷区、世田谷区、大田区)

仕事:新卒でIT系ベンチャー5年  現在 シンガポール本社のデジタルエージェンシー香港法人

好きなこと:サッカー、映画、読書、愉快なこと、豊かなこと、新しい経験、新しいテクノロジー、情報、事業

 

人生のテーマ

自分の子供の世代が「大人になるのが楽しみ」と自然に思えちゃう環境創りに事業を通して貢献し続ける

 

行ったことがある国と都市

<アジア>

香港、韓国(ソウル)、台湾(台北)、中国(上海)、澳門、ベトナム(ホーチミン、ダナン、ホイアン)、フィリピン(セブ)、シンガポール、タイ(バンコク)、インドネシア(ビンタン島)

<北米>

アメリカ(サンフランシスコ、ラスベガス、ニューヨーク、ボストン、ソルトレイク)

<ヨーロッパ>

ドイツ(ケルン、フランクフルト)、フランス(パリ、モンサンミッシェル)、スペイン(バルセロナ)、イタリア(ナポリ、ヴェネツィア、ローマ、フィレンツェ、ミラノ)、バチカン市国

 

【経歴】

<誕生>

1989105日 京都にて誕生。次男。

在日韓国系の家庭で育った京都出身の母親と、

奈良出身の父親、2個上の兄 との4人家族。

 

愛樹という名前は

「樹木のようにまっすぐ立派に育ちながら

周りに愛情を与え、与えられる存在になってほしい」

という親の願いから命名されました。

 

<幼少期~小学校>

いわゆる転勤族で

幼稚園に入るまでは横浜、

その後小学校で神奈川県小田原市に引っ越す。

サッカーと出会い、毎日の遊びはサッカーか秘密基地作り。

周りの友達にも恵まれ、今でも鮮明に思い出として覚えている。

 

<中学>
小学校5年生のタイミングで名古屋に引っ越す。

引っ越しはなんとなく慣れていたものの、

最初は戸惑いも多く喧嘩もよくしていた。

悪いことをして補導しかけられたところを親に助けてもらい、

この頃から悪いことしてない。

 

<高校>

公立の中堅高校に通って、

もっとも楽しい青春時代を過ごす。

部活も恋愛も遊びも行事も最高に楽しかった思い出ばかり。 

 

家庭ではこの頃いろいろ問題があって、

家族間のバランスを取り持つ役割を担ってことが今の性格にもめちゃくちゃ影響している。

一度は親に自分から離婚を頼んだこともあったり、

また家庭の金銭面の事情で国立しか大学にいけないという制限もあり、

3年生からめちゃくちゃ勉強する。

1年で学年360人中315位くらいの成績から、

3年では常に1桁代に。

 

第一志望の国立大に落ちて、大学進学を後期受験の滑り止めの国立大に行くしか無くなり落ち込んでる時に、

母親が一言「立命館に行きたいだろうから、行っていいよ」といって、

昼も働いているにも関わらず、

夜勤のスーパーのパートをだまって増やしていた。

それでも幸せそうに自分に話しかける母親の姿をみて、

「子供を持つ大人ってかっこいい」と感じた。

今の自分が子供を持っていたとしても、こんな風に言えないし行動できない。

きっと、子供をもつ大人にしかわからない感情や感覚があって、

それはわからんけどめっちゃ素敵なものに違いない!

楽しく、優しく、強い心を持った誠実な大人になったらなんでも楽しくなるんだろうと気づき、

大学では思うがままにすべての時間を親への感謝と自分のチャレンジに使った。

この頃から、世間一般でいうかっこいい大人やステータスにあまり興味がなくなり、

自分の中でのイケてる大人はどんな人かを頻繁に考える癖がついた。

 

<大学>

大学では、立命館大学内で成績上位3%以内の特待生、学費免除を2年連続でもらいながら 

バイトを3つ常時掛け持ちしつつ、

大学2年でグローバルメーカーの産学連携研究プログラムに最年少で参加し、

サークル、仲間、仕事、勉強機会すべてに恵まれた時間を過ごした。

出会う人も変わり、付き合う人も変わり、毎日がワクワクしていた。

 

<東日本震災復興支援>

就職活動で第一志望の会社に内定をもらった後すぐに、東日本大震災が起きた。

あまりボランティア精神が強いとか、特別そういった活動をしてきたわけでもなかったけれど、

翌朝の新聞の1面に子供を抱きかかえる母親の写真が大きく掲載されていて、

初めて、遠くの目に見えていない出来事が、 自分事のように感じ、

1週間まとめて休みをとり、友人と車で現地に向かった。

 

そこでできることを見つけ、車で野宿して、また次の地に移ってと繰り返している時に、

探し物を手伝っていることに対し、「泥棒が何しにきたんや!」とおっちゃんに激怒された。

現地にてきても自分たちができることは微力で、時には迷惑で、さらに継続することがとても難しいことがわかった。

そこから、関西でもできる支援としてグロービス代表の堀さんや、
現在サムライインキュベートCOOの長野さんが行われている復興支援活動の

学生版を立ち上げ、代表として年間で200万円の支援金を集め、活動を終えた。

 

自分の想いだけでは実行に移せないことも、誰かの想いに乗っかればより自分の色として表現できることをここで強く学んだし、

ビジネスや仕組みとして継続できる形にしないと、

何をするにも続けていくことが本当に難しいことを学び、1年で団体は閉じることにした。

 

<社会人>

新卒でロックオンというマーケティングソフトウェアを開発しているベンチャーに入社した。内定先の中では最も人数の少なく、当時50人に満たないくらいだった。

 

本当に素敵な先輩と仲間に恵まれ、自分の人間的な強みを最も活かしやすい環境の中で思いっきり働かせてもらった。

年間セールスMVP2回、最年少でのマネージャー昇格、製品企画での年間MVP、最後は戦略部の立ち上げ、海外展開の最初もやらせてもらった。

自分が3年目の時に東証マザーズに上場し、素晴らしいパートナーやクライアントに囲まれて継続的に日本のインターネットビジネスを支えるインフラを創っているかっこいい会社です。

 別の機会にまたまとめますが、感謝しかない。

 

<備忘録:ニューヨーク>

3週間アメリカに行く機会をもらう。

ラスベガスサンフランシスコニューヨークボストン

 

強く海外で働きたい、

自分の心震えることにだけ集中したい

そう考えるようになったのは、201611月に行ったニューヨークと

そこで出会った人たちのおかげ。

 

尊敬する大人に出会い、自分を人生で一番振り返る機会をもらった。

マンハッタンをただただ歩いている時間、

セントラルパークで気づいたら2時間も経ってリラックスして、

High Lineから見た景色を見ながら、

「自分が想像するだけでいてもたってもいられないことが何か」

を気づくことができた。

旅や人、新しい景色や空気を通してでないと決して得られなかったもの。

 

今いる場所で考えてるだけではいくら払っても買えないものがあることを学んだし、

お金を投資する先が大きく変わった。

 

<香港>

AdAsia Holdingsの香港法人の立ち上げ (継続中)